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福岡高等裁判所 昭和60年(う)486号 判決

本籍

宮崎県北諸県郡高城町大字桜木一六五二番地ロ

住居

北九州市小倉北区板櫃一〇番二-七〇四号

会社役員

久保田哲夫

昭和一三年一二月二三日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和六〇年八月一九日福岡地方裁判所が言い渡した判決に対し、弁護人から控訴の申立てがあったので、当裁判所は、検察官高塚英明出席のうえ審理をして、次のとおり判決する。

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年及び罰金五〇〇〇万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人中山茂宣が差し出した控訴趣意書に記載されているとおりであるから、これを引用する。

所論は、要するに、被告人に対し刑執行猶予の言渡しをしなかった原判決の量刑は重過ぎて不当である、というのである。

そこで、原審記録を調査して検討すると、本件は、被告人が、大学医学部又は歯学部に入学困難と思われる受験生につき、その父兄等から依頼を受けて、昭和大学医学部及び歯学部の裏口入学斡旋等に便宜を計らい、その父兄らから入試指導料等の名目で多額の報酬を得ていながら、簿外預金を蓄積するなどの不正の方法で所得を秘匿し、昭和五六年分の税額一億五二九〇万三二〇〇円及び昭和五七年分の税額六〇六五万〇三〇〇円、合計二億一三五五万円余りの所得税を免れたという事案であり(なお、所論中には、受領した金員につき、被告人は医師又は歯科医師の国家試験に合格するまでは預り金であると考えていたため、所得税の申告をしなかったという部分が見受けられるが、記録によると、被告人は、受験生の入学の確定を条件とする趣旨で報酬を受領していたもので、国家試験の合格までをも条件とするものと理解していたものではなく、ただ、入学者が、父親の死亡により学資が続かないなどの、本人の責に帰すべからざる理由により中途退学せざるを得ないような場合には、例外的に、受領した金員を返還するとの約定があったに過ぎないのであるから、被告人が預り金と誤解したために所得の申告をしなかったものではないことは明らかである。)、ほ脱額も極めて多額であるうえ、原判決も指摘しているように、そのほ脱率も高く、昭和五六年分については全く申告しておらず、昭和五七年分についてもごく一部を申告したにとどまっているなど、脱税の態様もまことに大胆であるなど、犯情はこの種の事案として悪質というほかはないものであって、社会の非難を蒙るような原因による所得であるために、これを申告しにくい面があったからといって、そのことをもって少なくとも有利に考慮しうる事情とはなしがたいものであり、被告人の懲役刑の裁判歴にも徴すると、本件刑事責任は重いといわなければならず、被告人が、原判決の時点までに、一億数千万円の本税等を納入していたことや、その反省の情、妻の病状その他原判決の指摘している被告人のために酌むべき諸事情を十分考慮しても、被告人を懲役一年二月及び罰金五〇〇〇万円(換刑処分につき一〇万円を一日に換算)に処した原判決の刑の量定は、原判決の当時においては、相当であったというべきである。

ところで、被告人は、原審において、自己所有の不動産等を担保に本税残額及び重加算税を納税計画に従って完納する旨誓約し、原判決はこの点を被告人のために利益な情状として考慮していたのであるが、当審における事実取調べの結果によると、被告人は、原判決後かなりの期間が経過しているにもかかわらず、一七一〇万円を現実に納入したほかには、納税計画は実行されるに至っておらず、被告人が懲役刑について執行猶予の判決を受けた場合には第三者が被告人のために納税することを考慮する旨の書面等も提出されているとはいうものの、その実現性に疑点のないわけではないことに鑑みると、これらの事情を原判決後の情状として重視するわけにはいかないが、右のとおり一七一〇万円を追加して納入しているなどの点において、被告人なりに、納税のための努力をしたことは否定できず、原判決後の右の事情を斟酌すると、本件は、未だ被告人に対しその刑の執行猶予の言渡しをするのを相当とするような情状の事案であるとまではいえないが、原判決の刑の量定を現時点においてそのまま維持することはいささか重きに過ぎて不当であると考えられるから、論旨は、右の限度において理由がある。

それで、刑事訴訟法三九七条二項により、原判決を破棄し、同法四〇〇条但書に従い、更に次のとおり判決する。

原判決が認定した罪となるべき事実に対する法令の適用は、所得税法二三八条二項の適用、刑種の選択及び併合罪の処理の関係を含めて、原判決摘示のとおりであるから、これを引用し、その処断刑期及び金額の範囲内で、被告人を懲役一年及び罰金五〇〇〇万円に処し、刑法一八条により、右罰金を完納することができないときは、金二〇万円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 永井登志彦 裁判官 小出錞一 裁判官 泉博)

控訴趣意書

被告人 久保田哲夫

右の者に対する所得税法違反被告事件についての控訴の趣意は次のとおりである。

昭和六〇年一〇月八日

右弁護人 中山茂宣

福岡高等裁判所

第一刑事部 御中

原判決は刑の量定が不当であるので、破棄されるべきである。

第一、本件犯行の動機について

一、被告人の入試に関する収入は次の約定により受取られていたものである。

(一)、受験生を昭和大学医学部及び歯学部の入試に合格させる。

(二)、在学中は留年しないよう学習の指導をし、卒業させる。

(三)、国家試験に合格できるよう指導する。

(四)、右(一)(二)(三)の対価として金員を受領する。

(五)、但し、入学者が本人の責に帰すべからざる理由、例えば父親の死亡で学資が続かず中途退学せざるを得ない場合には、受領した金員を返還する。

二、(五)の場合を考慮すれば、受領した金員は預り金的性質を有するものであり、被告人は(五)の場合現実に金員を返還しているのである。

三、このような場合に被告人が受領した金員を預り金と誤解することは、やむをえないことである。

被告人は受領した金員を預り金と誤解し、国家試験合格後に預り金が正式に収入となると考えていたのである。

従って、被告人は収入となったときに所得税の申告をすれば足りると考え、所得税の申告をしなかったのである。

四、右のような事情であるから、被告人の本件犯行の動機は悪質ではなく、十分に同情するに価するものである。

第二、一般予防と特別予防について

一、近時におけるいわゆる脱税者の多さは目をみはらせるものがあり、サラリーマンの方々が正しく納税されていることに鑑みるに脱税者に対し厳重な刑罰を科すことは一般予防的見地に立てば十分肯定できるものである。

しかし、脱税者の大部分はそれなりに働き、それなりの収入を得ているものであり、社会から抹殺されるべき者ではないのである。これらの者に納税意識を持たせ正しく納税させることが社会にとって最も有意義なことである。

そして脱税者のほとんどが所得税法違反で起訴され、処罰されることにより二度と脱税はしなくなり、納税の義務を果すようになるのである。

二、このように考えると原審の実刑判決はそれなりに肯定できるものであるが一般予防の役割は原審判決により十分に果されているのであるから、控訴審においては特別予防の見地からのみの判断を特にお願いするものである。

被告人は十分に反省し、本件起訴にかかわる収入源を失っているのであるから、再犯の可能性は全くないのである。又、仮に実刑が科されるとすれば被告人は社会的信用を全く失い再起が不能となり、社会的には抹殺されてしまうことになるのである。そうならば被告人の会社は倒産し、被告人が本件についての納税のためになした多大な借財は返済不能となり、多くの方々に迷惑をかけることになってしまうのである。

第三、税金等の納付について

一、被告人は原審判決までに金一億四五〇〇万円の税金を納付している。又、残りの税金についても会社の手形を差入れ、被告人及び被告人の弟等の不動産を担保に提供して税金の完納をめざしている。しかし、多大な税金であるため完納にはいたっていないが近い将来被告人が完納することは十分予想できることである。

税金の納付は国が正しい税金の納付を受けなかったために損害を受けたものを回復するという意味で、財産犯等における被害弁償と同一の意味を有するものである。

被告人が前記のごとく多額の税金の納付をしたにも拘らず、実刑が科されるとしたら、今後発生する他の所得税法違反事件においての被告人の納税意識を鈍らすことにもなりかねないものである。そうなれば、刑罰の制裁による納税の確保をも目的とする所得税法の立法趣旨にも反することになるともいえるのである。

第四、被告人の妻及び会社の従業員の生活について

被告人に仮に実刑が科されるとすれば、前述のごとく被告人は収入の道を閉され、会社も倒産をよぎなくされてしまうのである。被告人の妻は病床にふしており、このような事態が発生すると、生活、治療等あらゆるものが行きづまってしまうのである。又、従業員も収入の道を失い、生活に困ることになってしまうのである。

第五、まとめ

以上のごとき事情があるので、執行猶予判決が妥当であったにも拘らず実刑の判決をなした原審判決は重きに失するので破棄されるべきである。

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